Blue Heaven

ただ、漠然と。

自己分析vs他己分析

2008-10-12 22:22:40 | Weblog
なんか就職活動を思い出すような言葉です
自己分析とはも通り自分自身で自分を分析すること。

他己分析。
自分自身を他人に評価してもらうこと。


旧知の友人から、遠回しに近況を聞かれました。

「日記」を読む限り重たい内容なので、との理由です。


結論から書きますと、大丈夫です。
日記で書いているほど深刻な事態には陥っていません。
とにかく大丈夫です。
心配してくれた人には、感謝感謝です。



日記の内容は確かにそんなに軽いものではなく、不特定多数の人に読んでもらうことを想定しているものでもありません。

「日記の内容は確かにそんなに軽いものではなく、」
について。
解釈の仕方は幾通りもありますが、遠回しなりに、そのように読み取ってもらえることについては、率直に嬉しく思います。

あくまで自分の意見でしかありませんが、つまりは以下のようになります。

ストレスや疲労をそのまま文字に表すことには抵抗があります。「ストレス」や「疲労」という文字をそのまま並べること容易なことであり、意味も文字通りです。
しかし、それをそのまま書くことに対する勇気や覚悟は並大抵なことではありません。
つまり、率直に書けないのは、その言葉自体が露骨で、何の衣もかぶっていないからです。
言葉に衣をかぶせ、それそのものが直視できないような表現を用いることが、1つの文章の書き方なのではないかと思います。

「不特定多数の人に読んでもらうことを想定しているものでもありません。」

こう書くと、ブログの定義との矛盾を考えるかもしれません。
この点について、自分の解釈を述べますと、矛盾するとは考えておりません。

理屈っぽく議論を展開すると、以下のようになります。
まず、旧来の情報の流れる方向とは、マスコミという1つの情報発信者が、不特定多数の視聴者に対して一方的に情報を流すという一方通行なものでした。

これに対して、ブログ、即ち簡易型インターネット日記の特性は、この情報伝達が、一方通行ではなく、相互通行が可能なことです。
言い換えれば、マスコミという巨大情報伝達組織に所属していなかったとしても、最大で不特定多数への情報伝達及び情報公開が可能になったと言うことです。

最大で不特定多数の人に対して情報伝達が可能になったということは、更に換言すれば、最少人数では、一人に対してブログを介して情報を伝達することが可能であると言うことです。

つまり、その対象が不特定多数であるか、ある特定の人物、または事物に対してかについては、書く人の意思に基づきます。


話を冒頭の記述に戻しますと、
確かにその通りです。
学生という立場から社会人という立場に変わったことで、表現の自由の幅も狭くなりました。
そういう点で、疲れやストレスがたまっているのは事実です。
更にいくつか個人的な問題もあり、少し病んでいる状態にあるのは事実です。
また、毎日日記が書けるような日々を過ごしているわけではないということ。
新しい発見無きまま、日々を過ごしているのではないかという危機感さへ覚えます。
学生時代の言論の自由はとても幅が広かったことを今になって痛感します。

しかしそれは鬱の状態ではなく、自分の心の持ちよう如何でいくらにでもなるので、実はたいしたことはない。
問題なのは文章を書いているときが飲酒状態であることが多く、それ故に極めて重たい内容の文章になっているということも考えられます。

一人酒、寝酒、それが金曜日の1つの過ごし方。


ということになります。


旅の途中で

2008-08-10 23:53:10 | Weblog
「現場」を経験した身として、考えさせられる作品となっています。

主観的な者の言い方となってしまいますが、




この事故の犠牲者の方々には、追悼の意を捧げる以外に、一個人として出来ることはありません。

皮肉にも、曲がりなりにも、観た映画が、近くて遠い自分の過去の経験に重なるものがありました。

規模の大小を問えば、それには及びもしないが、しかし、「使命」という点では決して劣ることのない経験でした。

そのような経験を思い出す映画。

クライマーズ・ハイ

メディアの使命とは、「情報」を市民に伝えること。

しかし、対照的に、メディアの存在は、傍観者にもなりうるというジレンマ。

当事者とは異なった目線で、当事者のように文章で伝えるという、新聞の本質を改めて目の当たりにしたというのが第一印象です。

現場という戦場で戦う記者は舞台の黒子となり、編集局という謂わば大本営が戦場への指示発信基地となる。
 
軍隊の組織を彷彿とさせるその描写は、「事実」と「情報」を伝える立場の難しさを描いています。

その中でも現場の人間を思い、断腸の思いでそれを切り捨てる人。

この苦渋の決断をくみ取れてこそ、この映画の本質を知ったと言えるのだと思います。

思い

2008-06-17 22:26:14 | Weblog
蒸し暑い季節が徐々に近づいています。
梅雨の季節だというのに、既に夏の様相です。

何か書こうと思っていても、今までのように簡単には文字が進まなくなっています。
社会的にとか、学生ではなくなったからとか、そういう理由ではないみたい。

ただ、何を、どういう風に、というところで躊躇があります。

やはり、文字に接する時間が少なくなっている。

仕事上の専門用語や書類に並んでいる文字は、あくまでも記号。
それらは文章としての体を為すことはなく、断片的なものでしかない。

まだ数ヶ月しか経っていないが、この文字離れの著しいことや如何に。
自分のことなんだけれども、どこか漠然としていて、蜃気楼を客体化しようと奮闘しているみたい。

空虚と言えば空虚。

でも、それが仕事かと思うと、それを結論とせざるを得ないもどかしさがあることも否めない。
しかし、組織という体系の中で生きるとは、そういうことなのかもしれない。
この資本主義社会の中で、一人の市民として生きてゆくための必要条件は、ドロップアウトしないこと。
月並みだけど、それが1つの条件。

そのために持つべきは希望。

すこし物事を抽象的に捉えたい。
霧の中で、長い坂を上り、雲上まで上がり、そこで何かを掴みたい。
火宅の人のように傍若無人でもいい。

そこから何か新鮮な何かを見つけたい。

それが1つの結論だと思います。

先を照らしてみて、なるべく明るい道を歩きたい。

身勝手にも、そう思うようになってきました。 

ある生き方について

2008-05-10 21:49:06 | Weblog
久しぶりに、文章を書きます。

最近身の回りで色々なことがあって、心身共にちょっと疲れ気味でした。
どれもこれも個人的なことだっただけに、自分の中でため込み、自分の中で処理、解決するしかなかった。
これからも、以前にも増してそういうことが増えると思うと、気も心もすり減る思いがするけれども、人間生きていく上ではいずれかは通らなければならないと思っているので、ただひたすら辛抱、辛抱でした。


さてと、

最近は読書に時間を使うこともないままに遅寝早起きの生活が続いていたんだけども、それでもちょこっとずつ、読んでいました。

相変わらずゾルゲ事件の文献とか、アグネス・スメドレイの作品だとか、どうしようもなく左化傾向極まりないモノばかりを読みふけってはいたのだけども、それは、別に左の思想の為に読んでいたのではなく、単にその筆者、またはゾルゲやアグネス・スメドレイの生き方に惹かれたからでした。


彼らは謂わば、人間として国境や人種を越えて人類のために戦い抜いた、ある意味ではペンで戦う戦士でした。

もちろんコミンテルンから日本や中国に派遣された諜報団員であったかもしれないけれども、少なくとも彼らはその諜報員以上に日本や中国、ソ連において平和が破壊されていくことを憂い、そして平和が破壊されないために、外交の裏舞台で身を削り東奔西走したのでした。

諜報員として、孤独の中で見えない敵や自分自身と戦い、時には人を欺き、時には大盤振る舞いをする。
酒の席でも酔って自身を暴露することはなく、常に自分よりも弱い小動物を愛す。

ゾルゲの場合、国内での共産主義の動きに目を光らせていた警察組織によって捕まったとある共産主義者のミスによってゾルゲ国際諜報団の存在が明るみになり、その組織のメンバーが次々と捕まってしまった。

ゾルゲは日本ではドイツ人ジャーナリストとして、またドイツ大使館の嘱託として大使の側近となり、ドイツの動勢をソ連に流し、一方で日本人諜報員であった朝日新聞記者(後に近衛文麿内閣嘱託)尾崎秀実から日本の軍政情勢を仕入れ、これをコミンテルンに流していた。ゾルゲは一方で、ドイツ大使館では日本の情報をドイツへ流すための暗号作りにも協力し、スパイとしてはこれ以上にない成功を収めていると満足していました。その矢先、特高警察によって逮捕され、治安維持法違反という無理矢理名口実で処刑されてしまう。

尾崎秀実も同上のように捕まり、ゾルゲと同じ日に、ゾルゲに先立つ。

スメドレーは、元々は白人とアメリカンインディアンのミックスとして生まれ、幼少から青春時代までをアメリカの農村で育つ。
両親が稼げなかったために、スメドレー自身が働き、小さい兄弟を養っていた。しかし、仕事を転々としているうちに、とある小さな雑誌の編集室で働くようになった。その雑誌の編集室がスメドレーの人生を変えることになる。
左翼系の雑誌で、当時インドの英国からの独立運動を特集記事として掲載していた。スメドレー自身の白人とアメリカンインディアンのミックスとしての複雑なアイデンティティと、貧困の中で育った彼女自身の生き方とがインド独立運動への共鳴へつながり、その後、独学で勉学に励み、アイビーリーグを卒業するまでになる。その後一流のジャーナリストとしてインド独立運動に関わった後、日本の対中侵略に抵抗するために、中国共産党内部に入り込み、毛沢東や朱徳らと行動を共にする。

そんなときに彼女が出会ったのだゾルゲであり尾崎であった。ゾルゲとスメドレーとは記者仲間として知り合い、時を同じくして尾崎とも尾崎がスメドレーに接触をする形でお互い知り合う。もっとも尾崎は大学時代の支那研究会から支那への分析力については一流と言われていたので、スメドレーも尾崎の名は知っていた。尾崎も、スメドレーの名はインドの独立運動や中共動勢などについて書く辛辣な記事を通じて知ってはいた。

そんな彼らが国際諜報団として活動を始めるのは、日本で2.26事件が起こるよりも何年か前からである。

スメドレーは第2次世界大戦が終結した後も生き延びた数少ない諜報団員であったが、しかし、戦後の人生も決して安泰ではなかった。
米国内でも冷戦が始まると共産党員のアカとして世間から追放され、英国内でも居場所はなかった。
中国国内でも国共内戦を共産党が勝利を収め中華人民共和国を建国すると西側諸国の人間の中国国内への入国は著しく制限され、やがて大躍進時代や文化大革命の混乱期を迎える。

スメドレーは米国内ではいられなくなりロンドンへ渡るが、そのロンドンで内蔵に病を患い手術を受けるが術後の処置が悪くそれが原因で死んでしまった。

誰もが半狂乱の時代を生き、そして桜の如く散っていった時代。
そこで国籍にとらわれず一人の人間として世界を東奔西走した人たち。

その人たちの人生に惹かれ、この何年か、ずっとその人たちに関係する文献を読み漁っていました。

今思えば流動する経済学よりも、こっちの方を先行にすれば良かったと思うくらいです。
もっとも大学の成績表は、そのような心境が反映されたような結果になっていますが。

これからは貿易会社げ働く以上、このような近代史以外にも、経済学にも目を向け、改めて勉強していかなければとも思います。

 



キャパの写真

2008-03-09 22:02:43 | Weblog
部屋が片付かない。
大学の授業の資料やノートなんかが未だに本棚に詰まっている。

今日、本棚の上の方で埃をかぶっている写真集を見つけた。

別に隠さなきゃいけないような写真集ではないが、持っていて良かった、と思えるような写真集だった。
暇なとき、時間を持て余しているときに鑑賞すると良いかもしれない。

普通ならばそのモノの正体を聞いて期待はずれのような印象に思われるかもしれない。



ロバート・キャパの写真集。

女優でも何でもない。

女優も写したかもしれないが、

戦場カメラマンである。

近代戦争が何たるかを写した最初のカメラマンであったと言われている。
「戦争」という形のない、ただ概念だけの単語に、その本質を明瞭な形で残した、と
後世、彼の写真を見た知識人は評価をした。

彼の名前を有名にさせたのは、スペイン内戦の戦場で写した
「崩れ落ちる兵士」

銃で撃たれ、死に行くその瞬間を写したものだった。
戦争とは、単に主権国家同士が武力を持って争うこと、
そういった抽象的で、紙の上にただ書かれた文字としか受け止めていなかった当時の民衆や知識人たちが、
初めて戦争によって犠牲になってゆく人間の姿をキャパの写真によって認識したのである。

その写真によってキャパの名が有名になると、キャパは世界中の戦場へ出向き、そして人間の写真を撮り続けた。
また、事実上、親子関係と称された、キャパが親として養子に迎えた、という笑談があったほどの親友であったのが、アーネスト・ヘミングウェーである。
ヘミングウェーの作品の中に「日はまた昇る」という作品があるが、この作品は、キャパとヘミングウェーが第1次世界大戦を取材していく中で生まれた反戦小説である。

戦場で戦う兵士の写真、戦時体制下の統制経済の中での民衆の姿、
そして、戦争を知らない、戦場の子どもたちの姿。
そういった写真を撮り続けることによってキャパが訴えたかったことは、
戦争の本質。
人間同士が互いを憎しみ合い、殺し合う、そのむごい姿にこそ、戦争の本質がある。

そのような戦争写真からフォトジャーナリズムへ。
その先導をするように生まれたのが、キャパが中心となって立ち上げられた「マグナム」というレーベルである。
戦争カメラマンなど、危険な場所での仕事に従事するカメラマンを多く抱えているのが「マグナム」である。
今でもそのレーベルは存在しており、昔のように、戦場だけでなく、文化的な写真、ファッションや人の普通の生活の様子などを写している。世界的に有名なカメラマンを多く集団になっている。
世界中、色々なところで様々な写真を撮っている。
そのようなキャパの戦争に対する認識が、戦場の人間を被写体にすることによって具現化されたのである。


キャパは、ベトナム戦争の従軍カメラマンとして軍の後尾を移動中、写真を撮るために分け入った藪の中で対人地雷を踏み、命を落とした。

そんなキャパの写真集が自分の部屋で眠っていた。

自分は戦争マニアでもないし、戦争が良いことだとは思わない。
戦争は憎むべきモノであり、この世からなくなってしまえば良いと思っている。
しかし、戦争を語り継ぐことは大切なことである。
それは、同じ過ちを繰り返さないために。
戦争という言葉は知っていても、実際には何も知らない。

だから、キャパの力を借りる。
スメドレーの力を借りる。


それだけのことだが、キャパの写真集があるのとないのとでは、全く違う。

そう思った。

だから、キャパの写真集が自分の部屋にあったことが嬉しかった。

もし貯金に余裕があれば、マグナムの写真集も欲しいと思う。


生きるということ

2008-03-07 22:58:43 | Weblog
寒がりの自分が、
コートを羽織らずに外出できるようになりました。
つい半月前まで、庭の金だらいにたまった水が、翌朝凍っている、なんてことがあって、

一体いつ暖かくなる、なんて思っていたのに、
いつの間にか、コートがいらなくなった。

春の風向きに変わり、鳥たちは囀りはじめ、小さな花びらが咲き始める。

夕方も日は長くなり、少し春が見えてきた。
季節の移ろいが、また始まった。

親しい友人から、何年かぶりに連絡があった。
懐かしかった。
しかし、それは哀しい知らせだった。

旧友の訃報だった。


会わなくなって数年。
久しぶりに聞いた音沙汰は、訃報だった。

哀しかった。
若くして、
死んでしまったのだから。

短い、太い人生だった。

大きな存在だった。
越えなければいけない目標だとおもった。

その目標は、いつの間にか、永遠の記憶になってしまった。

生きているということが、凄く幸せなことだって、
今更ながら分かってきたような気がした。

そして、悲しみを紛らわすために、
あるヤツの声が聞きたかった。
そして電話をした。

ヤツは電話に出てくれた。
何年かぶりに聞いた声だった。

病床から、話し相手になってくれた。

ヤツも戦っていた。
自分の病と命と戦っていた。


そしてヤツは強い意志を持っていた。
自分の命を省みずに。

生きてくれ、とは言えなかった。

今必要なことは、ヤツの行き方を認め、
共感してやること。

ヤツの言葉には、
自信が満ちていた。

それは生き延びることができる
という自信ではなく、

命を犠牲にしてでも
自分の意志を貫こうとする
強い意志であり、
誰にも止められない
そいつの生き方そのものだった。

それによって死期が早まるのに。
止めたかったけど、止められなかった。

そいつの人生は、俺が決めるのではなく、
本人が決めるのだから。

生きていて欲しいのに、
そいつの生き方に、文句を付けることが出来なかった。

もう一生、会わないかもしれない。

もし、そいつもいなくなってしまったら、
心の支えが、また1つ消えてしまう。

生きるということは、
別れと出会いを繰り返すこと。

この別れもまた、俺の人生の一瞬でしかないのかもしれない。


今いる世界がなくなってしまったら、
別の世界で生きれば良いのかもしれない。

それが生きるということ、
強くなるということ。


ぼやき

2008-03-07 22:18:15 | Weblog
一体、何にこんなに引っかかっているのか、自分でも分からない。

そこにいる自分が、浮いているようで、沈んでいるようで。
テレビを付ければ、毎日、必ず、凄惨なニュースを目にし、耳にし、
そして忘れてゆく。

同じ時間の流れの中で、どこか取り残されたような感覚を覚えることが
最近、

ある。

多分、

今までの非日常的な「時間の流れ」が
日常化しているから。

もちろん
束の間の「時間の流れ」

結局

忙しく
何もしていない時間をなくすことが、

この症状を克服するための
最良の手段。

なのかもしれない。



こんな事を書いてどうするんだ。

こんな馬鹿を人に晒して。
醜態をあたかも格好言いように書いて。

結局最後に馬鹿を見るのは書いた本人である。 


いまはそれでも良いと思っているから書いている。

なのでこれは悪いことではない。

年々歳々

2008-03-06 22:40:36 | Weblog
春の風に変わり、
日差しも暖かくなってきました。

コートがそろそろ重たく感じる頃で、

季節風に運ばれて大陸から、春を知らせる砂が飛んでくる。

梅の花は風に乗って舞い散っていく。

木蓮の蕾が、徐々に膨らむ。

道端では、青紫の小さな花が咲いている。

屋根の上ではひな鳥の囀りが日に日に賑やかになり、
やがて

桜の花の散る頃に巣立って行く。
子どもはやがて親となり、
育った場所で

再び子育てを始める。

年々歳々
花相似たり
歳々年々
人同じからず

かつて偉人が詠んだの名句のように、
鳥たちもまた

年々歳々
鳥たちは
同じ季節を迎え
歳々年々
人は
違う季節を迎える

そんな季節の移ろいに
明日
何を見よう

 

最後の祭り

2008-03-05 23:07:00 | Weblog
昨日、ついに「祭」を卒業することになりました。
大学を卒業してしまうので、今まで色々とお世話になったK社の祭りの盛り上げ役を引退します。
それで昨日は自ら志願をして都心で夜を明かしました。
ほぼ貫徹でした。最後は歌い明かしました。
今まで出来なかったこと、最後に、記念にと思い、都心で夜を明かしました。

帰りの電車は下り方面の東海道線。
電車に乗った時間が5時50分頃だったので空いていると思っていたが、しかし、上徐々に人が乗ってきて、最後は上り電車の60パーセントほどの混雑。もちろん

家に帰ってからもほとんど寝ずに何かをしていたので、これから寝よう。

でも、
厳密に言えば、最後に1つ「祭」が残っているんだけども。
最後に九州に旅行に行ってきます。

学生生活最後の旅行なので、車窓からの景色を楽しみながら、東京から普通電車を乗り継いで九州まで行ってこようと思います。
日程的にはあと2週間ほどありますが、今から楽しみ。

本当に学生生活は短かった。

そりゃ、これから社会人として何十年も働くと言うことを考えれば、4年間なんてあっという間の時間なんだけど、大学生でいるときには、その感覚がなかなか分からない。

刻一刻と近づいている、社会人になるその日、その日まで何をやろう。

たまっている本を読んで未読の本棚を整理すること。そんなことは社会人になってからも出来ることだけども、
今できることは、やはり、利害関係の生じていないウチに色々と考えてみること。
そして、今いる色々な仲間を大切にすること、

そういうことを中心に時間を潰そうと思います。
 

いつの日か

2008-03-02 00:13:51 | Weblog
何もせず、ただ流れていく。
月日は百代の過客、
しかし、
光陰は矢の如しという。

大袈裟なことでもないが、
何をするにせよ、
”気”の抜けた身と心では
目の前の事象1つにも
心は浮かんでこない。

そんな毎日がいつの間にか
遠くなり、それでいて切なくなって

そんな刹那な切なさの中でも、
時間は均等に流れる。

思い描いているように、月日は流れない。
いつの日か、振り返るときに、
この思い出の日々がどのように見えてくるのか。

それはちっぽけな日常であり、一瞬だけが止まっているだけ
それは断片的で、しかしコアな部分だけ残っているジグソーパズルのように、

これまでの道のりに散りばめられている。

後ろに造られた道を再び歩くことはなく
しかし、思い出はこれからの道しるべ

何かにつけて振り返るのは
その日々が懐かしいから

きっと何もかも
思い出は断片的に

振り返ることも立ち止まることも
何もかも
この道のために 

映画、レンブラントの夜警から

2008-02-01 21:51:45 | Weblog
レンブラントの「夜警」

中世ヨーロッパ絵画の中でも有名な絵である。第五警備団のメンバーの肖像画なのだが、これが物議を醸した。
当時の絵画の暗黙の了解は、肖像画を描くときは等身大で、また、複数の人物が一枚の絵になる場合、その各々を平等に「静止画」を書くと言うこと。レンブラントの「夜警」は、その常識を根底から覆したと言われている。
メンバーの一人一人に異なった表情があり、被写体の遠近に応じて大小、そして各人の仕草もまた事細かに描いていった。
この画法が、当時、この絵を見た人たちの間で強烈に批判された。
被写体それぞれが違う、それだけで「平等」が崩れるという。また、当時の画家は王族お雇いの画家が多く、依頼主を過少的に書くこと、また依頼主が複数だった場合、その各々に「差」を付けることは画家としては命取りにもなったという。
当時の批評では、レンブラントもまたこのタブーを犯し、画家としての名声、がかとして得た財産のほぼ全てを失ったとされた。
しかし、今日の「夜警」に対する批評の中でこのことを批判する論者はまずいないという。

今日の批評では、高く評価され、この「夜警」がその後の絵画の新たな流れを作り上げていったという。
この絵画の実物は、彼の出身国であるオランダのアムステルダム国立美術館に所蔵されています。

その「夜警」が描かれるまでの過程を映像にしたのが映画「レンブラントの夜警」。

その映画を友人に誘われて観に行った。

レンブラント自身の純情であり激しすぎる恋愛と正義感が映画のベースになっているが、絵画や芸術に興味があれば、映画としての深さにも感服すると思う。
カメラのアングルが素晴らしいと思う。まるで映画館の座席から正面のスクリーンの向こう側にある舞台を観ているような感覚に陥る。
そう、将に演劇を観ているような感覚だ。正面に固定されたカメラのレンズの範囲内で、最大の演技をしている。時にはレンズが映す範囲の外にこぼれてしまうかもしれないと思うほどの豪快さ。
レンズの向こう側で演じる人の目線に立ったカメラアングルも好きだが、固定されたレンズから、あたかも外から見ているようなアングルも、実は面白いと思う。
最近観た映画で言うならば、前者がアイルランド映画『Once ダブリンの街角で』ならば、後者はこの『レンブラントの夜警』だろうと思う。
『Once ダブリンの街角で』も、恋愛でも純愛でもなく、しかし後味の良い出会いのドラマ。
糖度が20以上あるのに後味がスッキリとしている果実を食べているみたいな映画。
『レンブラントの夜警』は、最初から最後まで激しい演技で、なかには露骨な恋愛シーンもあって、芸術的、哲学的な何かを追求しているようにも思える。
それが舞台演劇を観ているような錯覚に陥らせるのだろうと思う。

レンブラントとは違うけど、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を題材にした「真珠の耳飾りの少女」もまた良い映画です。この「レンブラントの夜警」とは正反対に、とても静かな中で物語が進行する。
その作品の中で、フェルメールが、この絵画のモデルとなった使用人である少女へはせた思いの変化も良く描かれています。
フェルメールと言えば、あの鮮やかな青色の使い方ですが、その鮮やかな青色もまたあの「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」などの名画の中心的な役割を果たしています。

それにしても、最近、良い映画を観ています。
ミニシアター映画が良い!
これからみたいと思っているのは、

「人のセックスを笑うな」 
「胡同の理髪師」
「長江哀歌」
「君のためなら千回でも」
「ハーフェズ ペルシャの詩」
「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」



などと、思い浮かべただけでも結構な本数ありますが、春休み中になんとか全部観ようと思います。
ミニシアターは、探すと素晴らしい映画がいくつも出てくる。
数ヶ月前から、個人的にドキュメンタリーに興味が出てきて、佐藤真の単行本や川喜多長政の「私の履歴書」なんかを探してきて読んでいます。
「キネマの砲声」という、旧満州での満州映画の事を書いた本が岩波文庫から出版されていて、その本を読んでいると、あの当時満州で陸軍大佐だった甘粕正彦がどれだけ尽力をしたかなどもよく分かる。

結局、甘粕がいなければ満映関係者の赤紙を全て送り返すようなことは出来なかっただろうし、今日の東宝映画はないだろう。まして、川喜多長政という人物も歴史の上で名を残すことは出来なかっただろう。
日本映画の大きな歴史の交差路が、満州の地にあったことを教えてくれる。

甘粕、満映、川喜多、李香蘭、などなど、色々な人物が戦争中には登場するが、これらの人物の戦争中であっても、平和構築に全力を尽くした人々の活躍なくして今日の日本映画は語れないだろう。小津安二郎や黒澤明、新藤兼人なども、満映で撮っていた時期もあった。


必ずしも、歴史ありきではないとは思うけども、そういう前提を知ることも面白いと思う。

レンブラントの夜警に話を戻す。
ああいう独特なアングルもまた人の心を掴む。
ものすごく芸術的、哲学的だけども、新しい価値観を発見できた良い映画だった。

最後に残った迷い、大学、就職

2008-02-01 21:02:14 | Weblog
あっという間に時間が過ぎてしまった。
4年間という長いようで短い時間。
ついに学生という身分から一社会人になると言う自覚すらもないのに、日、一日とその日が近づく。

最後のテストを終えたのが水曜日。最後という感覚もなく、4年間という時間の中で果たして自分がどれだけのことが出来たのかというと、自信を持ってあげられるモノもないような気がする。
ただ、自分なりに手探りで何かを探し求めていたことだけは確か。それが見付かったかどうかも、今でも分からない。

ちょっと臭い文章になってしまっているが、要は大学生活が、あと卒業式を残すだけとなったこと。とにかく人数が多いので大学のキャンパス内で卒業式をすることは出来ない。なので近くの武道館で行うのだが、大学まで歩ける距離なので、その日どういう思いで歩くのだろうか。

しかし、卒業という思いが薄いのにはもう一つの理由がある。卒業式の会場が、入学式の会場と同じ日本武道館なのはそうなのだが、その場所が、4月から勤める(予定の)職場と大学との調度中間地点にあると言うこと。
卒業してもなお、学生時代にブラブラしていた場所で仕事をすることになる。

ああ、それで本当に良いのか、今になって思うが、まぁ、大学も職場もいずれにしても東京都心部ののほぼ中心部にあるのだから、幾分か仕方がない面もある。

愚痴をいっても仕方がない。

結局、部屋の片付けは、後手後手に回るだろう。
中学から高校に入学するとき、高校から浪人をしたとき、浪人から大学に入ったとき、早め早めに部屋の衣替えはしてきたのだけれども、今回はそういう気持ちになれない。
俗に言う「スチューデントアパシー」なのか、職場がこの場所になったのは、就職活動の結果もあるが、この神田、神保町の古本屋街が恋しかったからかもしれない。
いつも気分転換には靖国通り沿いの古本屋街、神保町方面にぬけるすずらん通りの東アジア関係の本屋を身ながら時間を潰していた。時々絶版になった単行本や昔、ある映画の参考文献になったような掘り出し物を手に入れ、昔観た映画を思い出しながら、乱読をした。

社会人になってからも、そういう時間が欲しいという、今からして究極的に歪んだ気持ちでいる。地下鉄で5分、昼休みに急げば行かれる時間だ。

そんなことよりもまずは会社からの課題や、英語の勉強、などなど、勉強しなければならないのに、いつも、本題に取りかかろうとすると邪念に犯される。

早く指にペンだこを復活させて、英語や貿易実務の勉強をしないとと、心には発破を掛けているが、思いが言うことを聞かない。

まぁ、すこしぼーっとしようと思う。

あれこれと考えるよりも、少しぼけっとして、頭と心の整理をしようと思う。

もう一つの目標は文章のイメチェン。
どうも思い浮かんだ言葉をそのままアウトプットすると、変に硬い文章になってしまう。晦渋な文章ではないのに。

今、島崎藤村の「夜明け前」を読んでいる。何でもっと早くに読まなかったのかと後悔しながら読んでいるが、未知に対して自分から進んでいこうという気持ちをこれから持たないとダメだなとも思う。

色々と思うことはあるが、いつもと同じ支離滅裂。
結局、支離滅裂に始まり、支離滅裂に終わる、というところが自分にとって無難な終わり方のかなとも思う。

これ以上書くと、更に支離滅裂の袋小路に陥ってしまうので、この辺でとめる。

 

現在、過去、未来についての独り言。

2008-01-25 22:39:37 | Weblog
あと1科目で大学生活最後の試験が終わります。長かったようで意外と短かった学生生活ももう終わり。キャンパスライフは次のテストで終わる。
本当に4年間大学生をやってきたのかと疑問に思うが、日々新たにと思いながら4年間を過ごしてきた。
それが実ったかどうか、またはこれから実るかどうか。

部屋を片付けなければならない。でも、この部屋が職場になるわけではないので片付ける必要は、実はないのではないかとも思う。
何かしら、終わりが近づくと新しいことを始めたくなる。
いつもそういう気分になる。それは過ぎてゆくことを振り返らずに前のみを見て、という事でもない。
ただ、思い出よりも、目の前にあること、前に進むことで得られることを大切にしたいから。

頭で思っていることを実際に言葉で具現化すると、結構きれい事のように見えてくる。
亜流の歌に出てきそうなフレーズだけど、じつはこれが大事だと思う。

もちろん、思い出も大切。
思い出に生きる仲間は、きっと何よりも代え難い、大切な存在だと思う。
今いる仲間たちがそういう存在であり続けることを切に願う。

思い出よりも前に進むこと、と書いたが、そういいながら、矛盾するように見えるが、ちょっと違う。
自分がどういう軸に立っているかによって全く違ってくる。
過去を振り返るだけのノスタルジックな立ち位置なのか、それとも先を見据えている未来が前提の立ち位置なのか、過去も未来もなく、この今にいるのか。
「今と未来、時々過去」的な都合の良い立ち位置とはないだろうか。

つまり、過去を懐かしむことも出来て、未来を見据えている立ち位置。
結局そういう場所にいると、今自分がどこにいるのか、これからどうすればいいのかが曖昧になってしまう。

結局、どうしたらいいのだろう。

振り返らないのか、振り替えれないのか。
最後は結局自分自身の問題になってしまう。
自分自身で解決しなければならない。

でも、そんな疑問に対して早々と答えが出てしまったら、人が生きる意味や意義の半分くらいを喪失してしまわないだろうか。
どうなんだろう。

ことあるごとに一生悩み続けるだろう。
 

結局、寒さは寒さで乗り切る。

2008-01-18 23:09:08 | Weblog
もう何回かしか大学に行かないことになります。
分かっていたけども、実感として湧いてきたのはやっとここ何日かです。

4年間、あっという間でした。
このまま卒論が単位になれば、卒業できます。

他にも受けている授業があるのでテストもいくつかあるんだけど、単位がどうであれ卒業を左右する結果にはならないと思います。

そんな思いの中、今日も最後から何回目かで、大学へ行ってきました。
普通と言えば普通なんだけど、来週からテストと言うこともあるのだろう、図書館は結構混んでいたんだけど、キャンパス、というかLタワーの中はいつもよりも空いていたような気もしました。

図書館にちょっと文献を調べに行ったんだけど、それだけのためによくあの寒い中行ったなと我ながらに感心します。

今朝のコンビニでのバイトでは、幸か不幸か、一年を通じてなぜか自分だけユニフォームの袖が支給されていないので、今日までの1年8ヶ月ほど、季節を問わず半袖で働いていたけど、今日はついに長袖で働いてしまいました。
とにかく寒かった。
それでも、長袖でいたぶん、早朝の3時間、店内では寒いと感じることなく仕事が出来ました。


ここ何日か、冷蔵庫の中で生活しているみたい。
東北地方、北海道はもっと寒いし、近畿や北陸も風も強いし雪も積もっているはず。
関東なんか未だマシな方だと思うんだけど、それにしても寒い!
部屋の温度計が10度を下回っています。

自分の部屋は狭いのでストーブは付けません。
恐らくこの部屋でストーブを使うと、何かしらに自然発火をする可能性があります。
それに、窓が南向きなので、昼間カーテンを開けて太陽光を入れていれば夜もその暖かい温度が部屋に残るので暖かいはずなんだけど、ここ何日かは寒すぎてちっとも暖かくなりません。

仕方ない。いつも寝る前まで、寝間着の上にジャージを着て、その上にガウンを羽織る。

それだけでも暖かい。
この文章を書いているときは、ガウンの袖で足を包むか膝掛けでかぶせる。

寝る前の読書はもう毛布に入って、ガウンか何かを羽織る。

寒さには暖房ではなく、厚着をする。
寒さには、寒さの中でどう寒さを乗り切るか、そう考えることが大切。
周りを暖めるのではなく、自分が暖まる。

ストーブや暖房を使うのも良いけど、
寒いなら寒いなりに着込んだり羽織ったりするだけで寒さそのものにも問題なくなる。
キーボードを打つ指先も寒くてかじかんでいるかと思いきや全くそんなこともない。

結局、寒さは寒さで凌げ、と言うことだろうか。

1週間

2008-01-17 22:41:29 | Weblog
先週、携帯電話を替えました。
今回、ちょっと考えて、会社ごと替えることにしました。
 
今まで使っていたS社だと、3世代携帯の電波が我が家の周りは全くの圏外で、今まで使っていた2世代携帯から買い換えると、家では全く使えない。
せいぜいデジカメ機能くらいでしょう。白戸家のお父さんの大ファンではあるんだけど、自分の実生活を優先させてa社に会社を替えました。

新しく買った携帯は、今出ている中では最新モデルで、H社のものです。確かに画面は綺麗だし、動きもなめらか。
デジタルカメラも凄い。
早速、家で愛犬を撮ったら、被写体の一を自動で認識して、その輪郭に沿ってピントのフレームが映される。
これならピンぼけの心配もなくなる。

それからお財布ケータイ!今までは通学定期にお金をチャージしていて、その媒体がケータイに変わるだけなんだけど、早速エディを使っています。
コンビニでバイトをしているので、ケータイSuicaで買い物をしている人を見るのはそんなに珍しくはないんだけど、自分がそれを使う番になると、やっぱり気分がちょっと違う。

前もってある程度のお金をチャージしておいて、出先で小銭がないときとかにちょっとした買い物には便利だなって、今更ながら思いました。
GPS機能も凄い。
現在位置がすぐに出てくる。

その他にも色々な機能がついているのだろうけども、まだ使いこなせていません。

ウェブも、パケット定額にしたから使いすぎて困る心配もない。
今週、大学で友人に「時代の流行から一番遠いヤツが最先端に来た」と冷やかされました。

確かに。インターネットでも使うけど、そんなに流行最前線のことを調べたり使っているわけでもなく、使うサイトも機能も固定化してきている。
もっとも、今最新ケータイを持っていてもすぐにまた時代遅れになってしまうことを考えれば、あんまり気にすることではないと思うのですが。
それにしても、ますます便利になっています。

便利さとは裏腹に苦労も多いです。それは。便利に比例して多機能化して、電話で通話、メール以外にショッピングも出来る。

GPSもついているので、現在位置を見るのに衛星のナビが使える。

もはや携帯電話の「電話」以外の機能で判断して機種を選ぶ時代。

本当に凄いです。
音楽も聴ける。

一体いつ頃になって使いこなせるようになるのだろう。

そんな高性能多機能に感動しながら1週間が経ちました。
携帯を使う度に感動の日々が続いています。

最近、メールは少しは使えるようになりました。
通話、テレビも使用可です。

そんな1週間が経過しました。